ども、tyazukeです。
日本の建築は、「外壁後退距離」という概念があります。道路中心線から1mとか1.5m、敷地内の建物外壁を後退させなさい、という基準です。
この基準が建物の形状はおろか、容積、面積などに大きく影響します。4方に道路があれば、その分建物はセットバックするわけで・・・。
今回は、建築は道路に支配されている、と言う話です。
都市計画家は建築を考えない。建築家は都市計画を考えない。
日本の建築、ひいては街が醜い理由の1つに、道路の計画があるはずです。道路は、普段ただの道としての認識しかありませんが、建築計画に大きな影響を与えます。
つまり、道路の計画は、後に建てられる建築計画や街の形成を考慮して設計するべき。今の日本では、到底そんな状況とは思えません。各人がバラバラと専門家の仕事をしても、おかしな方向に行くだけです。
もちろん、建築家も道路のことを考えて設計するべきです(どうすれば良いかはサッパリ検討がつきません)。
ともかく、建築計画に道路が大きく影響する以上、道路をタダの道と考えずに「Desginする」という概念が不可欠のように思います。
思い出の道が無くなると、思い出の建築も無くなる
で、僕も実家に帰ると、子供の頃に歩いた道や建築に郷愁を感じるわけですが、数年前に家の近くの道が拡充されたんですね。
その脇に建つ建築は、建築基準法に触れることなく済んだわけですが・・・。その道を歩いても、何だか違う。子供の頃に感じた思い出が全然蘇ってこないわけです。
道は一度造ると、物質的にも人間の心にも中々消えないものですが、造り変えてしまうだけで、いとも簡単に無くなってしまうのだなぁと感じました。
道路は単に交通上の機能を満たすだけの存在ではない、ということです。
まとめ
- 都市計画家は建築を考えない。建築家は都市計画を考えない。
- 思い出の道が無くなると、思い出の建築も無くなる
- 道路は単に交通上の機能を満たすだけの存在ではない、ということです。