池井戸潤さんの社会派小説が好きで数冊持っています。中でも「銀翼のイカロス」は、帝国航空(おそらくJALのこと?)と東京中央銀行、政府、タスクフォースという4者4様の思惑が入り混じった面白い作品です(現実の話題に着想を得た話でしょうか)。
銀翼のイカロスの詳細については、実際に本を購入して読んでいただくとして、今回はその印象に残った一場面について考察します。
それは、半沢が帝国航空に対しての再建案を提案したとき。半沢は、帝国航空に大規模リストラや路線廃止を行えば自主再建が可能である、と示しました。
一方、帝国航空は「銀行による資金投入が無ければ再建は不可」との見通し。また、航空会社はただの民間企業ではなく「公共交通」の一角を担う存在であること。市民の利便性を無視して簡単に廃止は飲めない、と意見したのです。
小説は、「半沢直樹」の功利主義的?若しくは利己的に思えるロジックが気持ちよく通る作品なのですが、今回は自分が帝国航空側の存在だと思って「何が正しいのか?」考えて見てほしいのです。
市民への影響、路線廃止は本当に正しいのか?
上述した話は、『会社を再建するために、リストラ、路線廃止は当たり前』と考えるのは簡単です。しかし、もう一歩踏み込んで考えてみましょう。
まず、路線を廃止された「周辺市民への影響」についてです。ベンサムが唱えた功利主義は、最大多数の最大幸福を追求する哲学思想。現代政治の主流の1つとなる考えです。皆さんも、自然と功利主義的な考えをなされていると思います。
例えば、こんな話。
枝分かれした2つの線路があります。あなたは列車の運転手で、即時の判断が求められるとしましょう。1つの線路には、5人の作業員が立っていて、もうブレーキは間に合いませんが片方の線路へ進路変更は可能です。
しかし、片方の線路には1人の作業員が立っています。
このとき、あなたならどうしますか?
多くの人が、1人の作業員側へ進路を変更するのではないでしょうか?この強烈なジレンマは、人の命を即座に「数」で換算させます。1人より5人、5人より10人を活かす方が、「得だ」と、考えてしまうのです。
このように、「全体に対して最大多数が幸福である=1人の不幸より5人の幸が多い」ことを追求する思想が功利主義なのです。
話を元に戻します。半沢を始め民間企業は利益追求が目的ですから、路線が廃止になろうとも「会社再建が可能であれば」、それは大した問題ではありません。
しかし、帝国航空が言うように「市民への影響」が考慮されているのか?収益が多い路線を廃止して、収益が少ない路線を廃止することが本当に正しいのでしょうか?最大多数に対して最大幸福が正しく測れているのか?
もしベンサムが生きていたのなら、この難問にどう意見するのでしょうか?
周辺市民への影響度を調査する
まず、周辺市民への影響を考慮するには、市民へのアンケートが手っ取り早い方法です。つまり、路線を廃止することに賛成か反対か?廃止をどう考えるか?帝国航空が「公共交通の一角を担う」のであれば、それを行うべきだったのです。
そうすれば半沢にも少しは意見できました。但し廃止意見が多ければ、結局、東京中央銀行に有利なデータを与えることになりますが。
路線を廃止することで自主再建が可能になり、リストラされなかった社員の効用(幸)が増える。一方リストラ社員の効用は減る。銀行側は貸し倒れを免れ効用が増える。加えて、路線廃止された周辺市民の減少した効用を加えて、全体の効用が増加していれば、功利主義の観点から隙の無い論理となったでしょう。
もし、廃止反対意見が多かったら?
仮にアンケートを行って廃止反対意見が圧倒的に多ければどうすべきでしょうか?その時は、政府もその意見を無視できなくなるでしょう。
なぜなら政府は市民の意見を汲み上げるものですし、もしかすると地元議員が味方につくかもしれません。
利用者を多くするために、市民運動(大学、NPO法人などの活動)が活発化するかもしれません。
いずれにしろ、周辺市民の影響を調べることは、次のアクションにつながる行動です。帝国航空に抜けていた動きはソレでした。
例えば、数年前SEALDs(シールズ)という学生団体(市民団体?)が、安保法案に反対して大きなムーブメントを起こしましたが、大規模なデモがおきれば政府は無視できません。
まとめ
今回は、「銀翼のイカロス」の一幕から、1つのジレンマについて考察しました。カネの損得をはじき出す銀行側のロジックもわかります。これは民間企業では強力な論法です。一方で、帝国航空の「公共」に対する意見も同感できるのです。
しかし、その路線には本当に公共性があるのか?市民の利用度数、路線廃止の賛成・反対など、市民への影響を考慮する必要があります。
それが、公共交通を担う『民間企業』の役目かもしれませんし、「利」に対する対抗手段かなぁと思いました。
それでは。